カイロプラクティックの医療への道程

D.Dパーマーの息子のB.J.パーマーは、カイロプラクティックを普及させ、科学性を追求して、より高度なものとして社会的認知を高めた偉大な功労者である。
B.J.パーマーがダベンポート市に最新の設備と規模でオープンさせた「骨学の研究室と資料館」を目の前にして、AMA(アメリカ医師会)の研究チームスタッフは絶句した。その偉容と充実した内容に「これは疑いなく人間の脊柱の最高のコレクションである」とのコメントを残した。
1907年、日本人初カイロプラクター、森久保繁太郎氏、パーマースクール卒。ウィスコンシン州で開業中に無資格診療で告訴、無罪。
1910年、B.Jパーマーによって脊柱のX線写真が発表される。 その研究成果と診断学は、今日まで受け継がれている。
1905年、アメリカ・ミネソタ州で初のカイロプラクティック法制化。
1913年、ダニエル・デビッド(DD)・パーマー氏死去。
アメリカ・オクラホマ州、ノースダコタ州、カンザス州でカイロの法制化なる。
1916年、柔道指導で渡米した川口三郎氏がパーマースクール卒後帰国。日本で初めてカイロプラクティックを紹介する。
1920年、アメリカで米国医師会(AMA)のカイロプラクティック弾圧強まる。
1972年、連邦政府によるカイロプラクティックの老人医療保険への適用法案が成立。
1974年、米国教育省(USDE)はCCE(カイロプラクテイック審議会)をカイロ大学の認定機関として公認、国家医療への道は決定的となった。
現在、アメリカ全州でカイロプラクティックを行うカイロプラクターが、医師、オステオパスと並んでプライマリー・ケア〔Primary care 総合的に診る医療〕として認められている。
全米に18校のカイロプラクティック大学があり、年間1,000名を超えるカイロプラクターが卒業している。国家試験に合格すると、DC(ドクター・オブ・カイロプラクティック)の称号が与えられる。

 

 

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