日本のカイロプラクティック事情

日本にカイロプラクティックが入ってきたのは、1916年(大正5年)のことだった。
1905年、柔道家の川口三郎氏が、米国ルーズベルト大統領の招きで柔道の講師として山下七段一行の柔道一員で渡米する。
器具を使わずに骨格を矯正、身体の痛みやシビレを取り除くカイロプラクティックの素晴らしさに、パーマースクールへ入学。明けても暮れてもカイロプラクティック漬けの生活を送り、1916年パーマースクールを卒業。帰国の途につき、すぐさま横浜で開業にこぎつける。日本で第1号のカイロプラクティック治療院の登場である。
1918年には神奈川県で「カイロプラクティック取り締まり規則」が制定されました。
戦前、アメリカで教育を受け日本に帰国したDC(ドクター・オブ・カイロプラクティック)は14名ほどいました。
1947年(昭和22年)、あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法の制定により、従来の届け出カイロプラクティック営業が禁止されてしまう。
1964年(昭和39年)、ついに法改正にこぎつけ、既得権者は終生の営業権を勝ち取った。
前後して1960年(昭和35年)、医業類似行為について、有害のおそれがなければ禁止処罰の対象とはならないとする最高裁判決によって開業が自由となった。
カイロプラクティックの営業も戦前の届け出制よりさらにゆるくなった。

 

戦前から講習会スタイルの教育機関はあったが、本格化したのは戦後です。
生徒を募集して指導し、その生徒を集め組織化するというシステムを繰り返し、組織はさらに拡大、それぞれの勢力図を形作っていった。

 

 

ケイコとマナブの「整体師講座」の無料一括資料請求はコチラ↓↓↓↓↓

整体師講座