戦前から戦後にかけて整体の大家

松本道別に師事し、高橋迪雄の正体術に影響を受け、日本中の手技療法を研究し、ある種の日本式整体の極点に到達したのが野口晴哉である。

 

野口は各種の手技療術を整體操法として統一しようとして、1943年(昭和18年)に各種手技療術の代表者を集め整體操法制定委員会を設立したが、その試みは成功せず、戦後、整体協会を主宰し独自の野口整体を提唱した。
野口は整体の成り立ちについて、日本の混乱した手技療術は大正期に輸入されたカイロ、オステ、スポンデロテラピーによって大変動し、輸入理論によって手技療術は飛躍し、昭和の初め頃まで、精神療法と結合していた技術までが手技療術として新しい位置を占め、今日の手技療術時代を現出した、と述べている。

 

野口と同じく高橋迪雄の正体術に影響を受けたのが、操体法の創始者の医師・橋本敬三である。
橋本の操体法では、患者自身の筋力による動きに患者が抵抗を加えることで、歪体を正体に戻すということが主眼に置かれている。
オステオパシーのマッスルエネルギーテクニック(筋エネルギーテクニック、MET)を操体法に取り入れたものと思われる。
医師向けの専門誌での発表では理解者が得られなかったが、自己治療も簡易に行え安全性が高いことから、農家向けの雑誌への連載がきっかけで瞬く間に全国へ広まった。プロの施術家のもならず、家庭療法としても広く実施されている点が他の整体と異なっている。

 

戦後の整体史を語る上で忘れてはいけないのが身体均整法の創始者の亀井進である。
亀井の均整学においては、人体の姿勢を12に分類し、それがすべての操法の基礎となる。
技法・理論としては、スポンデロテラピー、カイロプラクティック、オステオパシー、経絡理論、さらに武術の要素も含まれているが、核となるのは12種体型であり、それが均整法の特徴である。

 

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